【お知らせ】

2016-12-23 16:43:00
また年越しそばについて書きますよー。

今度は年越しそばの由来、歴史についてお話しします。

年内に間に合って本当によかったです!

年明けてからじゃあ締まらないですもんね(^^;;

年越しそばが何故食べられるようになったかは、

みなさんご存知の通り諸説あるようです。



まずは定番の、蕎麦が細く長く伸びることにちなんで、

寿命、家運を伸ばしたいという験担ぎ。これは有名ですよねー。


でもこれとは逆のパターンもあったりします。

うどんより切れやすい、ということから

「縁切りそば」なんて呼ばれてまして、

一年の苦労、災厄、借金を断ち切るのだそうです。

物の見方によっては全く逆の意味になってしまうんですね。

昔は今ほど製粉技術も高くなかったので、

今と比べると相当切れやすい蕎麦だったと思いますよ。

蕎麦打ち的には本当にいい時代になりました。


さらには、金箔を扱う細工師が、

作業中に飛び散った金粉を練ったそば粉を使って集めることにあやかって、

という説もあるようです。



年越しそばは麺としてだけじゃなく、

そばがき、そば餅としても食されていました。

何しろ麺にしなくて良いので、その歴史はもっと古く、

製麺技術のないはるか昔、鎌倉時代まで遡ります。


博多にある承天寺というお寺で、貧しい人に年を越せるようにと

そば餅を振る舞ったところ、翌年の運気がすごーく良くなったそうです。

それから「運そば」(←そのまんまですね(^^;;)と呼ばれて

大晦日に蕎麦を食べるようになった、とか。

まさに「情けは人のためならず」ってやつですね。

善行はしておくに越したことはないです(^^;;


また、室町時代になると、関東三長者と呼ばれた増淵民部(誰!?)の句に、

「世の中で めでたいものは 蕎麦の種 花咲きみのり みかどおさまる

とあります。これは、大晦日に家族の無病息災を祝って

そばがきを食べている様子を詠んだものらしいです。

ここでいう「みかど」というのは蕎麦の実のことで、

蕎麦の実って三つ角がある三角形をしていますよね。

そこで「みつかど」の蕎麦と「みかど=帝」とをかけているんですね。



私たちの馴染みのある、麺としての年越しそばを食べる風習は

江戸時代中期頃といわれています。

江戸中期はだいたい1685年(5代綱吉  生類憐みの令)辺りから

1716年(8代吉宗  暴れん坊将軍)の頃です。

寛政5年(1973年  11代家斉の頃)の「年始物申  どうれ百人一首」に、

「嘉例にて くふ蕎麦切りも 勘定も のびてうれしき 大晦日かな」とあります。

この「嘉例にてくふ蕎麦切り」というのは、

おめでたい風習に倣って食べる蕎麦、という意味です。

てことは、この時代よりもかなり前、つまり江戸中期頃には

年越しそばは定着していたと考えられる、との考察のようです。


…こうして文献を追って見てみると、

何を根拠に言っているのかが良く分かって面白いですよね。

もう少し当時の文献が紹介されていたのですが、

本筋と多少ずれるので今回は見送りました。って次回はあるのか!?!?



年越しそばの話はこんな感じで終わりです。

自分で読んで何となく理解する程度なら良いのですが、ここに書くと

なるとあからさまな間違いはできませんし、(多少はご勘弁を(^^;;)

ちゃんと理解していないとなかなか書けないもんですね。

軽く約束しましたが、

ちょっとしたライフワーク的な手応えがありました(^^;;

執筆活動されてる方はすごいです!尊敬します。


まぁ懲りずにまた何か書きますので気長にお待ち下さいませ(^^;;


 



参考文献:岩崎信也(2007)『江戸っ子はなぜ蕎麦なのか?』光文社新書.