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2016-12-19 23:48:00
先日の予告通り、年越しそばについて書きたいと思いますー!


何でこんなことを突然書き始めたのかと言いますと…

実は、自宅の二階で漫画と共に死蔵同然だった蕎麦関連の本を

うっかり見つけてしまい、もういっぺん読み直していたら

これが意外と面白くて。それで、読んでまとめたものを、

せっかくなのでみなさまにしシェアしようかなと、

人に話すと覚えられるとか言うじゃないですか。


そんなことで、お時間のある方は

「蕎麦屋の、蕎麦屋による、蕎麦屋のための勉強」の成果の見守りに

お付き合い下さいませ。

なるべく軽くてライトなノリで読めるように気をつけますので(´∀`*)



今現在「何かのイベントとして」蕎麦を食べるという風習は、

大晦日の「年越しそば」くらいじゃないでしょうか?(引越し蕎麦も

あるにはありますが最近は廃れてきてるなんて話も…)

じゃあ江戸時代はそんなに蕎麦を食べるイベントがあったのか?と。

実はこれがあったんです。イベントというより風習ですが、

「晦日そば(みそかそば)」といって、毎月末に蕎麦を食べる風習が

当時はあったんですよ。なので、年末に食べる蕎麦も、

月末ということで単に「晦日そば」と呼ばれることが多かったようです。


そうはいってもやはり年末ということで、

年末の晦日そばは特別に「年取り蕎麦」「大年そば」「大つごもりそば」

などとも呼ばれておりました。晦日、つごもり、共に月末という意味です。

なので、大晦日、大つごもりは年末、ということになります。

年取りそばは、「お年取り」と呼ばれる年末の準備の総称が

由来となっているそうですよ。



さらに衝撃の事実が!

なんと「年越しそば」は、年末には食べられていなかったのです!

じゃあ何で年越しそば?

年末に食べずにいつ食べるの??

とお思いだと思います。

これは、寒い寒い冬の時期の「大寒」が、

旧暦の節分(←立春の前日)で終わるのを、

当時は「年越し」と捉えていて、その節分の日の夜に年越しそばを食べて、

夜が明けて翌日の立春から年が改まる、ということだったらしいです。

年によっては年末の前に節分が来て、

大晦日より前に「年越しそば」ということもあったそうです。

こんがらがってよく分からなくなりそうです(^^;;




とまぁそんなわけで、江戸時代では「年越しそば」は

大晦日に食べる蕎麦のことではない、

という意外な事実が明らかになりましたね。




調子に乗って次は年越しそばの由来に触れてみようと思います。

気長にお待ち下さいませ(^^;;









参考文献:岩崎信也(2007)『江戸っ子はなぜ蕎麦なのか?』光文社新書.